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BLOG第76回 3.11 東日本大震災から10年

2021.03.11

3.11 東日本大震災から10年

森下記念病院スタッフブログをご覧の皆様、
こんにちは、相談室です。

 

2011.3.11のあの日から10年になろうとしています。
先日、2月13日にも大きな地震がありました。
津波の被害が無くて何よりでしたが10年前に被災した方々は再び恐怖に襲われたことと思います。

 

10年前の3月11日、私は横浜駅近くの研修会館で県のソーシャルワーカーの新人研修に参加していました。
その日は研修の最終日で、各グループの課題発表の日でした。全グループの発表が終了した直後にいつまでも止まらない大きな揺れが続き、どうなってしまうのだろうと机の下に身を隠し、声も出ませんでした。
結局、研修後に予定していた懇親会どころではなく、横浜市民防災センター皆で一時避難したのですが、いつまでたっても電車が止まっているという以外何の情報もありませんでした。県内各病院から参加していたので各々の帰宅方面ずつのグループが出来、明るいうちに自宅を目指して歩こうという事になり、不安の中私たちは16号線を横浜から相模原へ向かう事にしました。小松会病院、相和病院の相談員さんと一緒だったのは心強い限りでした。自分の家族や職場がどうなっているのかさっぱりわからない中、相和病院の相談員さんが何とか奥さんと連絡が取れ相模原の緑区から16号線を横浜に向かって迎えに来てくれることになりました。道路は停電で真っ暗。しかも渋滞でひどく時間がかかりましたが、無事家へ着く事ができました。我が家(海老名)に送って下さりとてもありがたかったです。

 

その日の我が家は、長男はお嫁さんが我が家に引っ越してくる日、次男は町田にいて徒歩で帰宅、お嫁さんは幼稚園の園バスが踏切を渡れず円まで子供を迎えに行ったと報告があり、お互いの無事を確認しホッとしました。

 

娘が最近あるサークルで3.11の時どうしたかと話をする機会があり、知人はこうだったよと話が出ました。
彼女は柔道整復師で整体院に勤務していて、10年前は独身だったこともあって、整体院にはベッドもあるので職場に泊まったそうです。
また同僚は子供さんもいたので自転車を買い、小田原から県央まで自転車を走らせたそうです。彼女はトライアスロンをやっていたので体力にも自信があってこの方法を選んだのですね。

誰もがあの時大切な家族の顔が一番に浮かんだことと思います。

 

時代はさかのぼって平安の末期、京の都を襲った大地震と続く余震、旋風(竜巻)を鴨長明が方丈記の中でとてもリアルに書いています。3.11の時の映像が重なって、その時の光景が浮かんできます。そして時間が経つにつれ忘れられ話題にすらならないと風化現象の事も言っています。800年以上も前に書かれたものですが、私たちへのメッセージとも受け取れる記述がたくさんあります。

 

コロナや災害と不安ばかりの中で相談員の仕事が少しでも何かの手助けになるよう頑張っていこうと思います。

震災で亡くなられた多くの人々のご冥福をお祈りいたします。